便利さは悪なのか、それとも?

現在流通しているクルマのほとんどがオートマになって、すでにかなりの時間が経過しているが、いまだにスクーターなどを除くバイクはミッション車がほとんどである。これはバイクの趣味性の高さや搭載スペースの問題、また製造コストなどなど、こえなければならない課題がクルマよりもたくさんあるからにほかならないわけだが、それでもオートマのスポーツバイクは徐々にラインナップに加わりはじめ、その完成度の高さから、今後はオートマを指名買いするユーザーも増えていくのではないかと思う。

しかしながら、やはり走りを重視するユーザーからは、「やっぱり乗り物はマニュアルでないと!」とった声が依然として多い。そういった要望から、セミオートマ的な機能があったりするわけであるが、そうはいっても人間一度ラクなものに慣れてしまうと、なかなかそれを手放しづらくなってしまうというもの。そうなってくると最後はオートマでさえ面倒になりそうな気がするが、まぁ車にあるような自動運転的発想はとうぶんバイクには出てこないだろうなと思う。

なかなか手放しづらいものつながりで考えると、ボクが最近手放せないなと思っているものは、浄水ポットである。いきなりしょぼい話になって申し訳ないが、買うきっかけとなったのは震災以後の水不足(とにかく街に売ってない!)であった。これが使ってみるとすこぶる快適で、とにかく重い思いをして水を買ってくる必要がない。それにペットボトルのゴミも出ない。さらに飲み水以外にも気兼ねなく使えるということで、至極単純な製品なのだが久々に「買ってよかった」と思えるものなのである。イマイチなところをしいて言えば、カートリッジの値がはるところだが、利便性を考えればそれさえ価格を上回るのではと思うわけである。最近では、野外用に水筒の飲み口のところに、浄水カートリッジが付いている製品もあり、これならいつでもどこでも生水が飲み放題というわけで、このようなサバイバルツール的色合いの製品は、ちまたで多く見かけるようになってきたが、いやはや世の中便利になったものである。

しかし最近ボクは「こんなに世の中便利になってどうするんだろう」と思うことがよくある。街には電車やタクシーが縦横無尽に走り回り、いつでもいろんなところに移動できる。ちょっと上り坂があればエスカレーターがあり、長い距離の歩道には動く歩道。また家では電話やネットで注文すれば、外に出ずとも食べ物からなにから何でも手に入る。これらインフラやサービスは、進化をすればするほど、危ういバランスのうえで成り立っている確立が増えていくわけで、ある日を境にそれらが使えなくなったとしたら、果たしてもとの生活に戻れるのかと不安になるわけである。まぁそれが露呈したのがさきの震災だったわけだが、個人的には今後、極力便利なものに慣れ過ぎない生活、というものにシフトしていかねばと思っている。アナログ復権とまではいかないが、とにかく危機に強い生活だ。そう考えると、バイクというものはやはりいいポジションに位置しているよなぁ…と思うわけであるが、依然として販売台数減少に歯止めが利かない。バイクも白物家電よろしく、便利に、そして高価になりすぎてしまったのだろうか。「持ちたくても持てない」なんて声も多いが、まだまだ一部の人の趣味だけに落ち着いてほしくない限りである。われわれメディアもがんばらないとイカンですな。

C.ARAiのプロフィール

30代後半・Web制作班所属。何事にもしっかりしていたい気持ちはあるものの、やってることはかなり中途半端。基本的に運命にはあまり逆らわず生きていくタイプで、いきあたりばったりが自分にはよく合っていると思っている。悪く言えば計画能力ゼロ。モットーは「来るもの拒まず、去るもの追わず」。

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