記憶に残るツーリングをする、もっとも簡単な方法?

編集長のイッキ走りネタ。毎度のことながら「すごいなぁ」と尊敬してしまうが、イッキ走りとはある種、自分との戦いというか、ロマンというか、バイク乗りの中に必ずある「ついつい目指しちゃうもの」のひとつであることは間違いないだろう。とは言いつつ、編集長の場合はスケジュール上やむを得ずといった場合がほとんどだと思うけど、それでも「やったるか!」と思ってしまうのは、ある種バイク乗りのサガ的な部分によるものではないだろうか。

そもそもイッキ走りとはいったい何km以上の距離を走れば認定(?)されるのか分からないが、個人的には、おおむね500km以上走ったら、立派な「イッキ走り」になるのではないかと思っている(まったく根拠はないけど)。そのあたりは逆にいろんな人の解釈を聞いてみたいところではあるが、基本的にボクは軟弱なのでイッキ走り経験はあまりない。だいたい1日に多くても300km程度走れば、十分おなかいっぱいになるのだが、学生時代に唯一、千葉から大阪の友人宅まで夜どおし下道を走ったことがあって、唯一それがボクのイッキ走り経験である。

大阪への旅は予定など何も考えずに、着替えだけ持って夜中の2時ごろ出発した。しかしながら箱根の山をこえるころにはすでに「後悔」の二文字しか頭の中になかったが、それでもちょっとずつ景色が変わっていき、聞いたこともないような地名が標識に出てくるようになると、心の中に冒険気分が芽生え始めてくるから不思議である。「ここはひとつ大阪までイッキに行ってみるか」という、ほとんど成り行きまかせで始まったボクのイッキ走りは、走っているうちにいつの間にか意義のある旅に変わっていき、今もこうして記憶に残っているしだいである。

人間の記憶というのは、変化の少ない記憶ほど、どんどん上書きされていく対象となっていく。逆につらかったことや悲しかったこと、もちろん楽しかったことやうれしかったことなど、大きな感情の変化がともなう記憶は、心にグッと深く突き刺さってなかなか忘れないものになりやすい。

そう考えると、イッキ走りのような長距離をひたすら走り続けるツーリング(?)というのは、あらゆる感情が入り交じり、簡単に記憶に残るものになるのではないかと思う。とはいっても無理して長距離を走り続ける行為は、事故の危険が大きいのであまりオススメはできないけど、ちょっとがんばれば成し遂げられそうな目標というのを旅の中に折り込んでおくと、よりいっそう旅が充実するのではないかと思うわけである。

とはいえこのイッキ走り。ドMなバイク乗りにとって最高の遊びになっていそうな予感がするが、果たして実際のところどうなのだろうか。あ、でも別に編集長のこと、ドMだとは思ってませんからね(笑)。

C.ARAiのプロフィール

30代後半・Web制作班所属。何事にもしっかりしていたい気持ちはあるものの、やってることはかなり中途半端。基本的に運命にはあまり逆らわず生きていくタイプで、いきあたりばったりが自分にはよく合っていると思っている。悪く言えば計画能力ゼロ。モットーは「来るもの拒まず、去るもの追わず」。

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