どっちがキャベツでどっちが白菜?

みなさんは、キャベツと白菜の区別ってつきますよね? いつだったか友人が白菜を目の前にして「このキャベツ」と言い、思わずわが耳を疑ったことがある。今でも相変わらずその友人はキャベツと白菜の区別には自信がないようで、そういうシチュエーションにならないよう、キャベツや白菜にはなるべく関わらないようにしているようである。それにしても、どこから見たってまるっきり違う野菜なのに、何がそんなに見分けにくいのだろうか。そもそも白菜ってチャイニーズレタスと言うわけで、どちらかというとレタス似である。葉が重なってカタマリになっているという構造は似ているかもしれないが、葉っぱの硬さも形もまるっきりちがうし、暗闇で手探りしたって間違えようがないくらい別物である。どうやったら間違えられるのか不思議でしかたがない。それでも野菜売り場で連れの人に「これって何だっけ?白菜?」と同じようなことを言っている人も見かけたことがあるし、畑の白菜を指さしてキャベツといっている人も目撃したことがあるので、やっぱり人によってはキャベツも白菜も同じように見えるのかもしれない。

まあたしかに、わたしだって白菜とキャベツは区別できるけど、たとえば車の車種とか、人の顔を見分けることなどは苦手である。この仕事をしているにもかかわらず正直、ビッグスクーターがどれも同じに見えてしまうし、同じようなメイクで同じようなヘアスタイルをした顔はどれも同じ人に見えてしまう。きっとそれと同じことなんだろう。人に言わせれば、「これってマジェスティだっけ? スカイウェイブだっけ?」なんて迷うことすら信じ難いことなのだろう。

そう言うとよく、「それはそのものに興味がないから区別できないんだ」と言われるが、たしかにそれもあるかもしれないが、だけどわたしは白菜やキャベツに特別興味を持っているわけでもないし、毎日毎日手にとって見たり食べたりしているわけでもない。だから自分で仮説をたてるとすると、ものを区別する能力には、体質的に、あるいは感覚的に、得意な分野と不得意な分野があるということではないかと思うのだ。得意分野での区別は興味うんぬんは関係なく区別できるが、不得意分野での区別は興味を持った対象物は区別が可能であると思っている。現に、車やバイクの車種を区別するのが苦手な私でも、自分の愛車と同じだったら、道ですれ違っただけで気がつくだろう。

そうやって考えていると、きっとこの世の中の見え方も感じ方も、自分と異なる感覚がきっといっぱい、それこそもしかしたら人の数だけあるんじゃないかな〜なんて思えてきて、ちょっとおもしろい気分になってきた。

チャンカメ

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チャンカメ

タンスタ創刊号の〆切間際に入社した古株女子だが貫禄はまるでナシ。かわいい=へんなものについつい手が伸び、デスク周りは癒やし(?)小物だらけ、少々アク抜きの必要な40代。イラスト担当。愛車は現在Z250。乗るたびに ”最近のバイクはすごいな〜” と可愛さ倍増中☆

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