懐かしがっているだけじゃ始まらない

懐かしがっているだけじゃ始まらない

先日、町内の回覧のなかで、地域交流の疎遠化についての意見交換会のお知らせがふと目にとまった。その内容はというと、子ども会運営や町内の清掃や祭事など、住民の参加・協力なくしては成り立たないことが、年々運営危機に脅かされてきているのをみんなで一緒に考えてみようではないかということらしい。そういえば…と自分の子供のころを振り返ってみると、子ども会ではラジオ体操や誕生日会、肝試しにクリスマス会…。町内会では月に一度のドブ掃除、盆踊り大会、集会所や公園の草むしり、町内をぐるりと歩いてのゴミ拾い…と楽しいコト、大変なコト盛りだくさんで、今でもこうしてよき思い出として心に鮮明に焼きついている。これが最近だとかなりコンパクトになってしまっているようで、なんとも残念でならない。

 

町内でボランティア活動を積極的に行なっていらっしゃる方にお話をうかがってみると、その背景にはやはり大人も子供も含めて住民の方々の「多忙」が大きく関係しているという。仕事の都合がつかなかったり、子供の習い事などでなかなか活動に参加できないのだという。たしかに自分も含め、近所を眺めていると、いつも皆時間に追われてセカセカと動き回っている感じで、かろうじてあいさつをかけ合い、最低限の近所付き合いを維持している状態であり、のんびり立ち話なんて、月に一度できればたいしたものである。また、こちらに余裕のあるときでも相手が急いでたら遠慮がちになり、お互いがそうだからますます許される時間が限られてしまう。なかにはそんなわずらわしさから解放されたいと言わんばかりに、初めから一切の交流を絶ってしまっている人もいたり、活動する時間帯が随分と異なる人もいるようで顔を見たことのないお宅もあり、付き合い方も人によって違う状態である。

 

しかしだからと言って、みなそれぞれ独りで殻に閉じこもっているという感じでもなく、各々の活動場所は持っているようで、それはそれで楽しくやっているようす。ただそれが近所でないというだけの話である。とすると原因は多忙だけではないのか。確かに、かつて看板や口コミ、折り込みチラシなど、近所限定の情報で動いていた時代から、今や全国の情報もたやすく得られることで選択範囲が広がり、またバイクや自動車など、交通の便もよくなり、遠距離移動が可能な世の中に変わってきた時代である。何も昔のように「近所」に特別こだわらなくとも、多少遠かろうが、より自分の生活に合ったものであればそちらを選ぶことだろう。便利といえば便利であるし、そっちの方が生活リズムや価値観の似た者同士が集うわけだから楽しくできる確率が高い。

 

でもなぁ…とそんな時代に流されつつも心のどこかでちょっと残念に思う自分もいる。効率がよく便利で豊かになっていくのはいいが、この便利さゆえに多忙となっている気がして、どうも悪循環なように感じるのだ。じゃあ不便を感じたらあっさり捨ててしまうのか? 地域交流なんて今時古いのだろうか…? それとも都合よく変えていくべきなんだろうか? 
…なんて、それこそこんなところでブツブツ考えてないで、意見交換会に行けばいいんじゃない?って話なんだけど、やっぱり都合がつかない。あ、こういうときに通信機器を利用すれば…?って、言ってるそばからコレだもんね。やっぱり今の時代に合わせていくしかないんですかね。

 

※そう考えると井戸端会議はうまく時代に合わせてカタチ変えたなぁ…(笑)。

懐かしがっているだけじゃ始まらない

チャンカメのプロフィール

タンスタ創刊号の〆切間際に入社した古株女子。現在は雑誌広告を中心に、たまにイラストなどの仕事をする。最近ZZR1100を手放し、愛車はSDRとリード100。

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