最近の花火は弾幕がスゴイ!

この夏は、なんだか花火づいている。先週は船橋市、今週は地元習志野の自衛隊の花火大会とほぼ2週連続で花火を観ている。久々の花火大会で驚いたのは打ち上げ花火の仕かけのスゴさだ。なんだかものすごくテンポがいいのである。花火大会というと半纏を着た職人気質のおじさんが、火縄を片手に「エイヤッ」とばかりに火筒のまわりを暗躍するようなイメージが、昭和生まれの僕の頭にはある。発射のタイミングも導火線しだいで、上がったり上がらなかったり、妙な間があったりね。そんなことも含めて花火大会だと思っていたのだが、最近の花火はどうも勝手が違うみたいなのだ。

聞けば打ち上げもコンピュータ制御らしく、連射、連発はお手の物。発射筒が自動で動くのか、並んでいるのかわからないが、扇状に連続射出される打ち上げ花火があったり、音楽に合わせて規則正しいリズムで射出されたり。昔の花火が「ボッ、ボボン!」なら、「ボッ、ボッ、ガボボボボボン」ぐらい(逆にわかりにくいか?)。花火の上がり具合の強弱やテンポがしっかりとできていて、音と迫力がものすごい。最近の花火の進化具合に感心しきりだ。

ただ、それと関連があるのかどうなのかわからないが、ちょっと残念に思えたのは花火の質だった。数による音と迫力はスゴいが、一発の“質”がなんだか昔に比べて、落ちているような気がするのだ。カタチがいびつだったり、真円じゃなかったり。「これはたぶん朝顔なんだろうな? ん? チョウチョか!」みたいな感じかな。
久しぶりに見た花火に、「おおお、玉屋ぁ! 鍵屋ぁ!」と思わず叫んでしまうような、唸らされる渾身の一発、みたいな花火がなかったのである。

もちろんこの手のイベントはたぶん予算ありきだろうから、打ち上げる花火もピンからキリまであるのだろうし、同じ予算をかけるなら今の時代は、“質”よりとにかく、連射で迫力を出す“数”で勝負、ということなのかもしれない。そんなことを考えていたら、
「今の時代にそんな手のかかる花火なんて作ってたら採算合わないぜオヤジ! 数だよ数。観客なんてたくさん上げりゃあ、それでよろこぶんだからいいじゃねぇか!」
「バカ言え、日本の花火はそんなもんじゃねぇ!」
なんて、時代の流れに翻弄される昔気質の頑固オヤジの姿が浮かんできたりしてね。もしかしたら、安い海外製が入って来て苦労したり…なんてこと冗談で書こうと思ったが、本当にそんなこともあるかもしれない(笑)。

なんだか花火くらいは、“古き良き日本”が守られる世界であってほしものだが、効率化とか早さを求める世の中の流れは仕方がないものなのだろうか?

やたぐわぁ

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やたぐわぁ

本名/谷田貝 洋暁。「なるようになるさ」と万事、右から左へと受け流し、悠々自適、お気楽な人生を願うも、世の中はそう甘くない。実際は来る者は拒めず、去る者は追えずの消極的野心家。何事にも楽しみを見いだせるのがウリ(長所なのか? コレ)だが、そのわりに慌てていることが多い。自分自身が怒ることに一番嫌悪感を感じ、人生の大半を笑って過ごすことに成功している、迷える本誌編集長の44歳。

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