加藤大治郎というライダー

加藤大治郎というライダー

もうすぐ夏の祭典、鈴鹿8耐の季節がやってくる。当然タンスタでも取材に行くので事前にエントリーチームの情報や過去のリザルトなんかをチェックする。すると歴代優勝チームの2000・2002年のところに加藤大治郎の名前を見つけた。

 

ボクの愛読書、マンガ『バリバリ伝説』の作中で一人の登場人物がつぶやいていた「世界GPで活躍するオートバイは日本製なのにチャンピオンは外国人ばかり。それが子どものころにくやしくて、それなら自分がやってやろうと思ってレースを始めた」というセリフがあった。ボクも当時子どもだったがこのセリフに強い共感を覚え、さすがに「自分がやってやろう」とは思わなかったけれど「そんなスゴい日本人ライダーが現れたらいいな」くらいのことはいつも考えていた。

 

そのスゴいライダーというのが、当時のGP250クラスで世界王者に輝いた加藤大治郎だ。彼は日本人初のGP250チャンピオンである原田哲也と激戦を繰り広げ、クラス年間最多勝記録に並ぶ11勝を上げた。そしてこの功績が称えられて文部科学省からスポーツ功労者顕彰が贈られたほどのライダーである。その加藤大治郎がGPの最高峰である500ccクラスにステップアップすることが決まり、まさにバリバリ伝説のセリフにあった、外国人チャンピオンがひしめくクラスに日本人ライダーが挑むという夢のような展開になった。

ボクは大治郎を応援した。当時GP500で無敵の強さを誇っていたバレンティーノ・ロッシに勝てるライダーは彼しかいないと思っていたからだ。日本製オートバイに乗る、最速の日本人ライダーが誕生する瞬間に立ち会えると思ったからだ。事実2002年、性能の劣る旧型マシンに乗りながら大治郎は新型マシンを駆るトップライダーたちに脅威を与え(たという話を当時聞いた)、後に最新マシンであるホンダ・RC211Vを獲得。夢が現実に近付きはじめた。

 

しかし2003年、これからというところで大治郎は日本GP決勝レースの事故により、26歳という若さでこの世を去った。

 

今月末にボクは、彼がかつて8耐で日本中を沸かせた鈴鹿サーキットに取材に行く。鈴鹿には何度か足を運んでいるけれど、レース取材は初めてだ。あの2003年の事故以来、ほとんどバイクレースを観なくなってしまったけれど、かつて夢中で応援した大治郎が走り抜けたコースを見れば、昔のような情熱を取り戻せるかもしれない。10年以上前のリザルトを見て、ふとそんな風に考えてしまった。

 

 

加藤大治郎。ゼッケンナンバー74は彼の誕生日である7月4日から。キッズ用レーサー『74Daijiro』は「子どもたちのためにオリジナルのバイクを作りたい」という大治郎の夢を実現するために、そして子どもたちがより安全に楽しくレースを始められるようにと開発されたものである。

加藤大治郎というライダー

サブローのプロフィール

ほめられて伸びるタイプを主張するクセに、ほめられることをやらない36歳。出身地である徳島県の一級河川・吉野川の別名“四国三郎”から、このニックネームに命名された。映画やマンガにすぐ影響される悪癖があり『ベストキッド』を観て空手を始めたり、『バリバリ伝説』を読んでCB400SF(当時は大型二輪免許を持っておらずCB750Fに乗れなかった)を買うなどの単純明快な行動が目立つ。

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