激戦のミドルマルチ戦線にホンダが満を持して投入したCBX400F。斬新な発想から生まれた数々の革新的なメカニズムを搭載して新時代を切り拓く。そして多くの若者たちから絶大な支持を集め、空前の大ヒットモデルとなった。
バイクブームを決定付け、開発競争を激化に導く
ミドルクラス4気筒ブームの最後発にも関わらず、発売と同時に空前の大ヒットを記録したCBX400Fは生産が追いつかない状況となる。また、その高い性能とコンパクトな車体が生みだす扱いやすさだけでなく、専用キットパーツを搭載した市販レーサーの併売や、新たなレースカテゴリーの新設といったメーカー側からのアプローチも功を奏し、多くのライダーを峠からサーキットへ誘うことに成功。その結果、予選に500台や1,000台とも語り継がれる空前のレースブームの火付け役ともなったのだ。
だが、CBX400Fの登場により、各メーカーの開発競争はさらに熾烈を極める。そして1年落ちのマシンでは戦闘力不足でレースには勝てなくなるという現実から、各メーカーは毎年のようにニューモデルをリリースした。バイクブームはしだいにレーサーレプリカブームへと移行し始めるのだ。そしてCBX400Fのデビュー翌年には、ミドルクラス初のV4エンジンを搭載したVF400Fをホンダは発表し、さらに83年にはCBX400Fの後継機となるCBR400Fが登場、高い人気にも関わらず生産を終えることとなる。
しかしCBX400Fは絶版となっても支持され続けた。とくにレース指向ではないライダーたちが、CBX400Fが持つ素性のよさや普遍的な魅力を感じ取っていたのだ。サーキット性能だけを追求したマシンではない、ストリートユーザーも満足させる性能を誇っていた証である。だが、その結果、中古車市場では一気にプレミアが付くという状況を招き、品薄の状態となる。そこでホンダは当時としては異例の再販を決定。カラーリングなどの小変更を加えた2型を84年に再び世に送り出したのだ。2度目の生を受けたCBX400Fは、レーサーレプリカ人気の真っ只中である87年まで、スタンダードなミドルマシンとして販売され続ける。モデルチェンジのサイクルが早かった当時としては、異例のロングセラーとなった。
先進の技術を多数搭載したレーサーレプリカのパイオニアでありながら、70年代のバイクが持つ普遍的な輝きも併せ持つCBX400F。そのコンセプトはスポーツ性能とシンプルなデザインを踏襲する現代のネイキッドモデルにも通ずる点が数多い。いうなれば80年代のレーサーレプリカだけでなく、ホンダのCB400SFなど現代のネイキッドモデルに与えた影響もはかり知れない。そしてこれほど多くのライダーに愛され続けるミドルバイクもそう多くはないハズだ。
マシンギャラリー
CBX400Fが発売になった1981年の出来事
- 福井謙一氏フロンティア軌道理論にてノーベル化学賞受賞
- トヨタ自動車高級スポーツクーペ、ソアラを発表し話題となる
- 神戸市でポートピア81が開幕、その後の地方博の先駆けとなる
- 中国残留孤児が初来日
- スペースシャトルが初の打ち上げ成功
- 深川通り魔殺人事件発生
- ダイアナ元英皇太子妃結婚
- 北炭夕張新坑ガス突出事故発生、93人の死者を出す大惨事となる
- 沖縄本島にてヤンバルクイナが発見される
- ベストセラー、黒柳徹子『窓ぎわのトットちゃん』、田中康夫『なんとなくクリスタル』
- ヒット曲、寺尾聰『ルビーの指輪』、近藤正彦『ギンギラギンにさりげなく』、五輪真弓『恋人よ』、山本譲二『みちのくひとり旅』
- ヒット映画、『セーラー服と機関銃』
- 流行語、岡本太郎「芸術は爆発だ」
※本記事は『Under400』No.03(2007年1月8日発売)に掲載された当時の内容を再編しています