SUZUKI Vストローム250

特集やっぱり乗りたい!250cc
旅人・カソリが語る SUZUKI V-STROM250

No.
197
特集やっぱり乗りたい!250cc旅人・カソリが語る SUZUKI V-STROM250

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※公開中の誌面内容はNo.197(2018年8月24日)発売当時のものになります

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賀曽利隆さんによるV-STROM250のレビュー! カソリは日本一V-STROMで走っているライダーだ

 

スズキのV-STROM250を賀曽利隆が試乗インプレッション
この取材の時点で6万㎞をV-STROM250で走行した賀曽利隆さん。まだまだその距離は伸びている

 

生涯旅人を地でいく賀曽利 隆さん。当時暗黒大陸と呼ばれたアフリカ縦断を成功させてからは世界中を走り回ること160万キロ。昨年9月からは自身70歳の誕生日を皮切りにV-STROM250で日本一周をスタート。既にこの機体で6万㎞を走行しているそうだが、そんな旅人の視点からVストローム250を語ってもらった。

文:賀曽利 隆/写真:関野 温

賀曽利 隆 プロフィール

賀曽利隆氏とV-STROM250

1947年東京生まれ。2017年の9月1日、Vストローム250で「70年代編日本一周」を開始。30代編、40代編、50代編、60代編に続いての70代編。このほか島編、温泉編、林道編といったテーマ編も行なう

 

既にVストローム250で約6万㎞を走行!

 

V-STROM250のスタイリング

1年間で6万㎞を走破!これぞ最強の旅バイク!

日本一周の相棒はすごい、第1部終了。第2部へ!

昨年の9月1日に私、カソリは70歳の誕生日を迎えました。それを機に「70代編日本一周」に出発。相棒はこのスズキのVストローム250。

 

「東日本編」と「西日本編」の2分割でまわり、12月17日に東京・日本橋にゴール。東日本編が45日間で1万2,478㎞、西日本編が49日間で1万2,818㎞、合計すると94日間で2万5,296㎞をともに走った。

 

このVストローム250を新車で引き取ったのは8月1日。実は「日本一周」の前にも東北まで走っている。その中でも特筆ものは「東京→青森・林道走破行」。東京→青森間の1,852㎞を走り、全部で9本のダート林道をこのVストロームで走破したのだ。この旅でのダート距離の合計は136.9㎞。そのようなプレランで日本一周の手応えを確かめたのだ。

 

実際、「日本一周」を終えたときにメーターは2万9808㎞になっているが、僕の「日本一周」はさらに続く。すぐさまテーマ編の「日本一周・第2部」に突入したのだ。厳寒の冬も、花粉症の春も、猛暑の夏も走り続け、1年後の8月1日でメーターは6万616㎞。

 

 

世界一周の旅に出るならいまはこのVストローム250一択だね!

カソリ旅の原点は250、乗りやすくて走りやすい!

1年間で6万7944㎞を走ったVストローム250のすごさを語るとしたら、まず第一にトラブルの少なさ。この1年間、まったくのノントラブルだったことだ。もう「パーフェクト!」といっていい。「東京→青森・林道走破行」の最終日には1日で1000㎞超を走った。山形県の湯ノ台温泉に泊まり、翌朝は5時に出発。鳥海山の奥山手代林道は山形県側が大荒れ。6.9㎞地点で通行止。秋田県から青森県に入り、ロングダートの白神ラインに向かったが、ここも通行止。最後に津軽半島の小泊から増泊林道に入った。18.0㎞のロングダートを走り、三厩から青森へ。東北道の青森料金所到着は17時45分。ここまでの距離は486㎞。すぐさま東北道をひた走る。19時20分、岩手山SA(岩手)に到着。21時40分、長者原SA(宮城)に到着。23時55分、安達太良SA(福島)に到着。24時55分、那須高原SA(栃木)に到着。3時15分、浦和料金所(埼玉)に到着。首都高を降りて日本橋に立ち、最後は首都高→東名経由で伊勢原の自宅に帰った。伊勢原到着は4時45分。24時間での走行距離は1260㎞。Vストローム250とは、こんな距離にものを言わせた走りも平気でできるのだ。

 

 

ヤタガイ ヒロアキさんの投稿 2018年9月22日土曜日

 

僕が初めてバイクで世界を走ったのは1968年。20歳のときのことだった。2年あまりをかけてアフリカ大陸を一周。今からもう50年以上も前のことになる。当時のバイクといえば、道中になんらかのトラブルが起きるのはあたりまえのこと。自分でマシンを直しながら走るしかなかった。そこでバイクの選択は修理しやすさから250㏄の2サイクルエンジンにすることにした。そこでスズキのT20にしようか、ヤマハのYDSにしようかさんざん迷ったのだが、スズキがT20をベースにしたTC250を出したとき、迷わずにそれにしようと決めた。そのモデルは、T20のギヤを1速落として5速とし、マフラーをアップ化。またエンジンガードも追加されたバイクで、スクランブラーと称していた。このTC250で8万5000㎞の「アフリカ大陸一周」を走ったのだ。

 

バイクで世界を駆けることしか目に入らなかったカソリの「250旅」はその後も続く。

 

1971年にはオフロードバイクのスズキ・ハスラーTS250で「世界一周」に旅立った。その途中では、日本人初の「サハラ砂漠縦断」を達成。1973年からの「六大陸周遊」の「オーストラリア編」もハスラー250。1975年から始めた日本の「峠越え」の相棒も、しばらくの間、ハスラー250だった。1984年からの「南米一周」では、スズキのDR250Sで4万3402㎞を走った。1992年の「インドシナ一周」ではスズキのRMX250Sで9930㎞を走った。動乱の続いた「インドシナ一周」は世界でも初めてのこと。砲火をくぐり抜けて走り抜いた。1996年の「オーストラリア2周」ではスズキのジェベル250で7万2194㎞を走った。「50代編日本一周3万571㎞」と「韓国一周3150㎞」もジェベル250。ジェベル250ではトータル20万㎞以上を走ったことになる。

 

そんな経験から言わせてもらおう。今現在、世界一周に旅立つとしたら、カソリは迷うことなくVストローム250を選ぶ。

 

次ページ:カソリ的V-STROM250のここにホレた!

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スズキお客様相談室
電話番号
0120-402-253
URL
https://www1.suzuki.co.jp/motor/

※記事の内容はNo.197(2018年8月24日)発売当時のものになります

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