さらばスペースシャトル

テレビを見ていたら、スペースシャトルが最後の役目を終えて地球に帰還してきた映像が流れた。“リサイクルできる宇宙船”として何度も宇宙へと旅立ったそのボディは、テレビ越しにみるとなんだか疲れているようにも見える。もちろん、耐熱タイルの外装は打ち上げのたびに換えられるだろうから長年のヤレが外見に見えるわけはないのだが、レポーターのおセンチなコメントやカメラアングルのせいかそんな風に見えてしまうのである。

74年生まれで今年37歳になった僕。物心ついたころにはすでにスペースシャトルがあり、その機体が初めて宇宙に飛び出したときには、世界中がその生中継で盛り上がったのを覚えている。それこそ「世の中すべての人が宇宙へと思いを馳せて人類の偉業を称えているんじゃないか?」と思うほど、国を超えてみんながブラウン管越しに宇宙を見上げていた。テレビというメディアが作り出したものすごいグルーブ感みたいなものを(そのころにはそんな言葉もなかったが…)、子どもながらに強烈に感じたものだ。もちろん僕もテレビに釘付けになったし、おぼろげだが自分の頭上をシャトルが通過する時間を調べて、ワクワクしながら夜空にスペースシャトルを探した記憶もある。

その後も、スペースシャトル打ち上げほどのインパクトではないにせよ、オリンピックに高校野球、24時間テレビなどなど、たくさんの実況中継・生放送が行なわれた。なぜだかはわからないがテレビの実況中継・生放送というヤツは不思議なモノである。こちらはいち視聴者としてテレビの画面を見ているだけなのに、向こう側の人たちや視聴している他の人たちともどこかでつながっているような不思議な感覚になったものだ。思えばこれこそが、テレビというメディアの最大の強みだったのだなぁ、と今さらになって思い至る。僕が子どものころは、間違いなくメディアの王様として神々しいまでの威厳を放っていたテレビだが、そういや最近は国を越えて世界中が大興奮できるようなネタも少ないような気がしてならない…。それが自分の加齢によるものなのか、不況やネットや携帯といた新メディアの登場のせいなのかわからないが…。もう一度、たくさんの人たちがテレビを通して一つの価値観を共有する、あの心躍るようなワクワク感を感じてみたいものだ。

そういや、スペースシャトルと同様、東京タワーも地デジ化によってそのテレビ電波塔としての役目を終える。「お疲れ様でした」。地デジ化のために新調したテレビの前で缶ビール片手に、この2つの偉大なシンボルにねぎらいの言葉をかける。輝いていた少年時代の名残が2ついっぺんに無くなってしまったようで、今年の夏は少しばかりもの悲しい。

やたぐわぁ

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やたぐわぁ

本名/谷田貝 洋暁。「なるようになるさ」と万事、右から左へと受け流し、悠々自適、お気楽な人生を願うも、世の中はそう甘くない。実際は来る者は拒めず、去る者は追えずの消極的野心家。何事にも楽しみを見いだせるのがウリ(長所なのか? コレ)だが、そのわりに慌てていることが多い。自分自身が怒ることに一番嫌悪感を感じ、人生の大半を笑って過ごすことに成功している、迷える本誌編集長の44歳。

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