ミドル史に名を刻む名車たち vol.06 KAWASAKI GPZ400R〈後編〉

かつて多くのライダーから支持を受け、のちに多大な影響を与えたアンダー400にスポットをあてる連載企画。若者の間でバイクに乗ることが当たり前だった時代、バイクレースが今よりももっと身近で華やかだった時代、市場迎合することのない1台のマシンが登場。そのスタイルはレーサーレプリカにあらず。独自路線を貫いた

写真:武田大祐 文:カズ中西

2年連続ベストセラー、それが市場の回答だった

GPZ400Rのスタイリングは他社のアプローチとは異なる同社スーパースポーツ路線。そのベースになったのは、900㏄ながら1,100㏄を凌駕する圧倒的なパフォーマンスを与えられた水冷のニンジャGPZ900R。さらにはその正常進化版にあたるGPZ1000RXと同系のフラッシュサーフェイスボディをまとって登場した。車両そのもののコンセプトは輸出モデルGPZ600Rと共通であったが、アルミX字レイアウトの400R専用AL-CROSSフレームを採用するなど、力の入れようは兄貴分以上。エンジンは新開発の4バルブヘッドが与えられた水冷直列4気筒。同時期の他社製レーサーレプリカより先んじて冷却効率の高いウエットライナー方式のシリンダーを採用。エンジン単体で見ればGPZ900Rのそれにならった質実剛健なつくりであったが、同クラス自主規制上限の59㎰を発揮し肩を並べた。

 

当時のプロモーション映像において「サーキットでも十分に速い。まるで公道を走れるレーサーのようだ」とコメントされていたGPZ400R。しかしながら国内事情において、この車両を使ったワークス系レース活動は決して精力的でなく、むしろ非レプリカバイクとしての人気を得て2年連続のクラストップセールスとなる。実際の用途として多く見られたのが、街乗りやロングツーリング。大柄なボディながら前後16インチホイールや低いシート高からくる足つき性のよさ、長時間の連続運転でもタレることのないタフネスなエンジン、ある程度の車重と適度なフレーム剛性がもたらす無類の安定感などが、それに結びついていたのであろう。

 

 

その後、GPX400Rが後継機種として市場投入されたが、GPZ400Rの人気は衰えず。GPX400Rの後継機種であるZX-4が登場してもGPZ400Rは併売されていた。ライバル他社のレーサーレプリカが年次更新されていく中、GPZ400Rだけはかたくなに継承され続けたのである。

 

生産終了は89年。最終モデルは、シリンダーヘッドや電装系パーツ、足まわりなどに手が入ったD4モデルとなった。少なからずバイクに関わってきた人間にとっては、毎日がお祭り騒ぎであった80年代バイクブームにおいてこれほど不変、かつ人気を博していたバイクはほかにない。華々しいレーサーレプリカ相手にセールス面で上回っていたGPZ400R。だが、売れていた理由はスタイリングのみにあらず。400㏄という規制の中でどこまで性能を、クオリティを追求しているのかという作り手の情熱があり、それに理解を示した多くのファンがいたからこそ実現できたのである。GPZ400Rに乗る機会を得たら、性能や雰囲気だけでなく、時代背景とつくり手の想いを味わいつつ楽しんでほしい。

マシンギャラリー

GPZ400Rが発売された1985年の出来事

  • プロ野球で21年ぶりに阪神タイガースが優勝。さらに日本シリーズ制覇で“トラ・フィーバー”に。ランディ・バースが三冠王
  • 科学万博つくば’85が開催
  • 横綱北の湖が引退
  • 日航機が群馬県御巣鷹山に墜落
  • 青函トンネルの本坑が貫通
  • 淡路島と徳島市を結ぶ大鳴門橋が開通
  • 関越自動車道が全線開通
  • ヒット曲 中森明菜『ミ・アモーレ』、チェッカーズ『あの娘とスキャンダル』、おニャン子クラブ『セーラー服を脱がさないで』、小泉今日子『なんてったってアイドル』、少年隊『仮面舞踏会』
  • ヒット映画 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』『ゴーストバスターズ』『グレムリン』『愛と哀しみの果て』
  • ベストセラー (編)ファミリーコンピューターマガジン編集部『スーパーマリオブラザーズ完全攻略本』、リー・アイアコッカ『アイアコッカ わが闘魂の経営』
  • 流行語 「金妻」「フォーカスされる」

 

※本記事は『Under400』No.011(2008年10月6日発売)に掲載された当時の内容を再編しています

 

KAWASAKI GPZ400R 〈前編〉はこちらKAWASAKI GPZ400R 〈ヒストリー編〉はこちら

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